上瀬
かみせKamise
全国8196位 ・ 約1,020人
上瀬(かみせ・かみのせ)は、清和源氏吉見氏の族で、「吉見系図」に「三河守頼行の子を上瀬三河守頼見(石州吉見祖)」と載せている。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- かみせ
- ローマ字
- Kamise
- 全国順位
- 全国8196位
- 推計人数
- 約1,020人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
上瀬をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Kamise読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 石見国(島根県)
- 丹後国(京都府)
- 長門国(山口県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
上瀬(かみせ・かみのせ)は、清和源氏吉見氏の族で、「吉見系図」に「三河守頼行の子を上瀬三河守頼見(石州(島根県)吉見祖)」と載せている。 (このあと原文は次の見出し「上瀬屋」の記事に移っている) 上瀬屋(かみせや)は、丹後国(京都府)与謝郡に上瀬屋城がある。 (このあと原文は次の見出し「上曾」の記事に移っている) 上曾(かみそ)は、常陸(茨城県)の豪族で、藤原北家八田氏の族である。「小田系図」に「八田四郎知家―知重(上曾祖)」と見える。ウハソの項を見よ。また『新編国志』に「上曾は、新治郡上曾村から出た。知重の四男・朝俊は小田三郎と称した。その子・朝時は左衛門尉となり、上曾氏の祖である。文保三年に上曾三郎、永禄中の手匍匐山の戦いに上曾長門守・上曾長庵がある。おそらく朝俊の後裔であろう」とある。また高麗文書に上曾酸河守が見える。 (このあと原文は次の見出し「上曾禰」の記事に移っている) 上曾禰(かみそね)は、甲斐国(山梨県)八代郡(今の八代郡)曾根邑から起こる。古くは物部氏の族で、後に武田氏の族と称する。「武田系図」に「義○―厳尊、曾福祖」また「上曾禰祖」と見える。ソネの項を見よ。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
上瀨カミセカミノセ〓和源氏吉見氏の族にして、吉見系圖に「三河守賴行の子を上瀨三河守賴見(石州吉見祖)」と載せたリ。上瀨屋カミセヤ丹後國與謝郡に上瀨屋城あり。上付カミソ常陸の豪族にして、藤原北家八田氏の族なり。小田系圖に「八田四郞知家-知重(上曾祖)」と見ゆ。ウハソ慊を見よ。又新編國志に「上曾、新治郡上曾村より出づ。知重の四子朝俊·小田三郞と稱す。子朝時·左衞門尉たり、上曾氏の祖。文保三年に上曾三郞。永祿中、手匍匐山の戰に上曾長門守、上曾長庵あり。蓋し朝俊の後也」と又高麗文書に上曾酸河守見ゆ。上曾禰カミソネ甲斐國八代郡(今四八代郡)曾根邑より起る。古くは物部氏の族にして、後武田氏の族と稱す。武田系圖に「義〓-嚴尊、曾福祖、」また「上曾禰祖」と見ゆ、ソネ條を見よ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
上瀬に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「上」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が上瀬の前後にある名字です。
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