この記事で描くのは上の5人と、資料で確認できた4種類の関係だけです。生没年、父母の異説、秀長の妻子すべて、秀保の死因、ドラマの創作人物は載せていません。載せていないことは「不明」という意味ではありません。
秀吉・秀長・瑞龍院は、きょうだいです。この記事ではこの3人を同じ段に置いています。
- 親子 — 実線
- 養親子 — 破線
- 婚姻 — 実線+「婚姻」の札
- きょうだい — 点線
この図に描いた関係を文で読む
- 豊臣秀吉 と 豊臣秀長 はきょうだい(きょうだい)
- 豊臣秀長 と 瑞龍院 はきょうだい(きょうだい)
- 瑞龍院 は 豊臣秀保 の親(親子)
- 豊臣秀長 は 豊臣秀保 の養親(養親子)
- 豊臣秀長 は 秀長の娘 の親(親子)
- 秀長の娘 と 豊臣秀保 は婚姻(婚姻)
秀吉と秀長はきょうだい
大和郡山市の協議会が出している解説では、豊臣秀長は秀吉の弟として紹介されています。この特集では、二人と姉の瑞龍院を同じ段に置き、きょうだいの線でつないでいます。
父母の名前はこの図に置いていません。きょうだい関係が資料で確認できても、父母をどう書くかは別の確認が必要だからです。線を引くために、確認していない父母を図に足すことはしません。
秀保は姉の子で、秀長の養子
秀保は、秀吉・秀長の姉である瑞龍院の子です。図では瑞龍院から秀保へ親子の線を引いています。
大和郡山市の郡山城の解説では、秀長の没後に秀保が城に入ったことと合わせて、秀保が秀長の養子であったことが書かれています。図ではこれを養親子の線(破線)として、実子の線とは分けて描いています。
つまり秀保は、血のつながりでは秀長の甥、家の上では秀長の子です。どちらか一方だけを書くと関係を読み違えるので、この記事では両方を残しています。
秀長の娘と秀保の結婚
同じ解説の年表には、1591年の正月に秀長の娘と秀保が結婚したことが書かれています。図では二人を婚姻の線でつないでいます。
この娘の名は、今回採った資料に記載がないため書いていません。名前を推測して図の空白を埋めることはしません。



