許斐

このみKonomi

全国5996位 ・ 約1,630人

許斐(このみ)は、筑前国宗像郡許斐邑より起こる。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
このみ
ローマ字
Konomi
全国順位
全国5996位
推計人数
約1,630人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

許斐をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Konomi読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 筑前国(福岡県)
  • 摂津国(大阪府・兵庫県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

許斐(このみ)は、筑前国(福岡県)宗像郡許斐邑より起こる。宗像大宮司家の家臣で、永禄の頃、許斐大夫氏備がこの地に居住した。「続風土記」に「許斐城は大宮司十五書氏平が初めて築き、その後宗像の家人許斐大夫氏備が居住し、永禄四年大友勢に攻め囲まれたことがある」とある。また「崇聖禅寺は許斐の城主多賀出雲守(一説に民部丞)隆忠が天文中に創立した」という。「多賀」の項を参照。 己斐(このみ・こい)は、「こい」の項を見よ。 (このあと原文は次の見出し「古野村」の記事に移る) 古野村(このむら)・此村(このむら)は、摂津(大阪府・兵庫県)にあり、藤原姓という。また茶人此村屋宗悟は蜂谷氏という。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

許斐コノミ筑前國宗像郡許斐邑より起る。宗像大宮司家の家臣にて、永祿の頃、許斐大夫氏備·此の地に居住せり。續風土記に「許要城は大宮司十五書氏平·始めて築き、其の後宗像の家人許斐大夫氏備·居住し、永祿四年大友勢に攻め固まれしことあり、」と。また「崇聖禪寺は許斐の城主多賀出雲守(一說に民部亟)隆忠、天文中に創立す、」と云ふ。タガ條參照。己斐コノミコヒ條を見よ。古野村コノムラ此村コノムラ攝津にあり、藤原姓と云ふ。又茶人此村屋宗悟は蜂谷氏なりと。

姓氏家系大辞典 第3巻 43コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

許斐に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が許斐の前後にある名字です。

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