幅
はばHaba
全国4394位 ・ 約2,580人
幅(はば)は、陸中国胆沢郡に幅村があり、また葉場とも書く。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- はば
- ローマ字
- Haba
- 全国順位
- 全国4394位
- 推計人数
- 約2,580人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
幅をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Haba読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 陸中国(岩手県・秋田県)
- 信濃国(長野県)
- 越中国(富山県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
幅(はば)は、陸中国(岩手県・秋田県)胆沢郡に幅村があり、また葉場とも書く。 (このあと原文は次の見出し「巾内(はばうち)」の記事に移る)巾内は、信濃(長野県)にこの氏がある。 (このあと原文は次の見出し「母帯(はばおび・もたい)」の記事に移る)母帯は、伊達正宗の家臣に母帯越中がいる。「もたい」の項を参照。 (このあと原文は次の見出し「波々伯(ははか)」「波々伯部(ははかべ)」の記事に移る)波々伯部は、藤原姓丹波の豪族で、多紀郡波々伯部邑から起こる。 この地は六波羅下知状に「感神院領、丹波国(京都府・兵庫県)波々伯部保下司・氏澄の代、良盛・雑掌親円と、下司職・名田畠ならびに刀傷狼藉などを相論す云々、正安元年十二月二十三日」と載せ、また波々伯部駅は「太平記」に見える。 また母上にも訛った。今も八上村に祇園社があり、「丹波志」に「八上祇園は八坂感神院で、母上大明神と呼ぶ」とある。 この氏は藤原姓と称し、「中興系図」に○々伯部とある。……(中略)日置邑の波々伯部城はこの氏の拠城で、「太平記」の足利高氏挙兵の条に波々伯部氏が見える。 また将軍御進発・大渡山崎などの合戦の事(建武三年正月)の条に「細川○律師定禅は、四国中国の勢を率いて、正月七日に播磨(兵庫県)の大蔵谷に着いたところ、赤松信濃守範資が、自国に下って旗を挙げようと京から逃げ下ってきたのに行き逢い、互いに喜ぶことこの上なかった。かつ元弘の佳例であるとして、信濃守を先陣にして、その勢は都合二万三千余騎、正月八日の午の刻に、芥川の陣に陣を取った……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない) 波々伯部二郎左衛門為久・下弥三郎時重・光、酒井六郎貞信が、但馬丹後の勢と行き合わせて、六千余騎、二条大納言殿の四山の峰の堂に陣を取っていたのを追い落とし、正月八日の夜半から、大江山の峠に篝火を焼いた」と見え、 また西国蜂起官軍進発(建武三年三月)の条に「これにより、丹波国には久下・長沢・萩野・波々伯部の者どもが、二木左京太夫頼章を大将として、高山寺の城に立てこもる」とある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
幅ハバ陸中國騰澤郡に輻村あり、又葉場に作る。巾內ハバウチ信濃に此の氏あり。母帶ハハオビモタイ伊達正宗家臣に母帶越中あり。モタイ條參照。波々伯ハハカ波々伯部ハハカベ藤原姓丹波の豪族にして、多紀郡波々伯部邑より起る。この地は六波羅下知狀に「感神院領、丹波國波波伯部保下司氏澄の代良盛·雜掌親圓と、下司職名田畠.井に刀傷狼藉等を相論す云々、正安元年十二月廿三日」と載せ、又波波伯部驛は太平記に見ゆ。又母上にも訛れり。今も八上村に祇園社あり。丹波志に「八上祇園は八坂感神院にて、母上大明神と呼ぶ」と0此の氏は藤原姓と稱す、中興系圖に減税々伯部。……日置邑の波々伯部城は此の氏の據城にして、太平記、足利高氏擧兵の條に波々伯部氏見え、又將軍御進發、大渡山崎等合戰事(建武三年正月)のぼん「細川〓律師定禪は、四國中國の勢を率して、正月七日播磨の大藏谷に著きたりけるに、赤松信濃守範資·我國に下りて旗を擧げん爲に、京より迯下りけるに行逢ひて、互に悅び思ふ事限なし。且は元弘の佳例也とて、信濃守を先陣にて、其の勢都合二萬三千餘騎、正又葉信濃に此の氏あり。モタイ伊達正宗家臣に月八日の午離に、芥河の審に陣を取る波々伯部二郎左衞門爲久下彌三郡時重、光、酒井六郞貞信、但馬丹後の勢と引合ひて、六千餘騎、二條大納言殿の四山の峰の堂に、陣を取りておはしけるを追落して、正月八日の夜半より、大江山の峠に篝をぞ焼きける」と見え、又西國蜂起官軍進發(建武三年三月)條に「之に依リ、丹波國には、久下、長澤、萩野、波々伯部の者共、二木左京太夫賴章を大將として、高山寺の城に楯籠る」と。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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