市谷

いちがやIchigaya

全国9676位 ・ 約786人

市谷(いちがや)は、武蔵国豊島郡市ヶ谷から起こった氏である。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
いちがや
ローマ字
Ichigaya
全国順位
全国9676位
推計人数
約786人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

市谷をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Ichigaya読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 武蔵国(東京都・埼玉県)
  • 大和国(奈良県)
  • 美作国(岡山県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

市谷(いちがや)は、武蔵国(東京都・埼玉県)豊島郡市ヶ谷から起こった氏である。「役帳」に市谷源三郎などが見える。 (このあと原文は次の見出し「市往(いちき)」の記事に移る) 市往は大和国(奈良県)高市郡市往岡から起こったものか。百済族で、名僧・義淵を輩出した。 【1】市往公 ― 「姓氏録」右京諸蕃に「市往公は百済国明王から出た」と見える。……(中略)また神亀四年十二月紀に「僧正義淵(俗姓は市往氏)は、禅枝が早く茂り、法梁がいよいよ盛んである、云々。市往氏を改めて岡連の姓を賜い、その兄弟にも伝えるべきである」とある。……(中略) 政家の四世の孫である美作守氏家、その三世の久家に至って島津立久に滅ぼされたという。「地理纂考」薩摩国(鹿児島県)市来○大里村鍋ヶ城の項に「昔、市来氏は市来院の郡司で居城であったという。市来氏系譜には、大蔵姓と惟宗姓との二家があり、ともに市来院の院司であった。 大蔵姓の市来氏はその支族である政房に始まる。その祖先は後漢霊帝の子孫である阿智王の後裔であり、宝亀年中、大蔵政房が初めて薩摩国に下向し、市来院の郡司となって当城に居住した。四世十郎家房に二人の娘があって嗣子がなく、 そこで外孫の惟宗太郎左衛門政家を娶わせ、政家に院司を譲った。こうして政家はその弟である橋口次郎家忠(家忠はまた山城(京都府)とも見える。河上の名を領したので、河上氏とも称したという)に大蔵姓を名乗らせ、政家自身は惟宗姓を名乗って、子孫は代々院司を承継した」とある。 【2】惟宗姓 ― 前項の政房の四世、十郎家房の娘である勞至御前が惟宗政家と結婚した。これより政家の子孫は市往氏を名乗る。七世久家のとき、島津氏に滅ぼされた。 「地理纂考」に「惟宗姓市来氏系譜に曰く、伝えていう『惟宗民部大夫広言は晩年、忠久に従い、薩摩国市来院を領して在城した。それより子孫は代々これを伝えた、云々』とある。また系譜に曰く、『惟宗○王は、醒酬天皇の皇子であり、すなわち保明親王である。承平六年丙申、初めて惟宗姓を賜った』とある。 また惟宗姓系図異本に『惟宗親王の裔である大納言知国から出た』とある。案ずるに、広言は当国の旧記に『日向国(宮崎県)司であって、諸県郡島津を治所とした』由が見える」……(引用はここで途切れている)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

市谷イチガヤ武藏國豊島郡市ヶ谷より起れる氏也、役帳に市谷源三郞等見ゆ。市往イチキ大和國高市郡市往岡より起りしか。百濟族にして名僧義淵を出す。 1市往公姓氏錄、右京諸蕃に「市往公百濟國明王より出づる也」と見えたり。……また神龜四年十二月紀に「僧正義淵(俗姓市往氏)、禪枝早茂、法梁惟隆、云々、宜しく市往氏を改め、岡運姓を賜ひ、其の兄弟に傳ふべし、」と。……政家四世孫美作守氏家、其三世久家に至リ島津立久に亡ぼさるとなり。地理纂考薩摩國市來〓大里村鍋ヶ城條に「往古市來氏、市來院郡司にて居城なりしといふ。市來氏系譜に、大藏姓と惟宗姓との二家ありて共に市來院の院司たり。大藏姓市來氏は其支族政房に始る。其祖先後漢靈帝の裔孫阿智王の後に出ず寶龜年中大藏政房始めて薩摩國に下向し、市來院郡司となりて當城に住居す。第四世十郞家房二女ありて嗣子なし、因て外孫惟宗太郞左衞門政家に娶せ、政家に院司を讓る。斯して政家其弟橋口次郞家忠、(家忠又山城とも見ゆ。河上名を領す、因て河上氏とも稱せしとぞ)に大藏姓を冒さしめ、政家は惟宗姓を冒して子孫世々院司を承襲す」とあり。 2惟宗姓前條政房四世、十郞家房の女勞至御前·惟宗政家と婚す。これより政家の子孫市往氏を冒す、七世久家の時島津氏に亡ぼさる。地理纂考に「惟宗姓市來氏系譜に曰、傳稱『惟宗民部大夫廣言晩年忠久に從ひ、薩州市來院を領し在城す。其より子孫世々之を傳ふ、云々』とあり。又系譜に日、『惟宗〓王は、醒酬天皇の皇子にて、卽ち保明親王なり。承平六年丙申始めて惟宗姓を賜ふ』とあり。又惟宗姓系圖異本に『惟宗親王の裔大納言知國より出づ』とあリ。按るに廣言は當國の舊記に『日向國司にて諸縣郡島津を治所とせし』由見へたり。

姓氏家系大辞典 第1巻 198コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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