吉沼
よしぬまYoshinuma
全国6977位 ・ 約1,320人
吉沼(よしぬま)は、桓武平氏大掾氏の一族で、常陸国那珂(茨城)郡吉沼邑から起こる。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- よしぬま
- ローマ字
- Yoshinuma
- 全国順位
- 全国6977位
- 推計人数
- 約1,320人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
吉沼をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Yoshinuma読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 常陸国(茨城県)
- 武蔵国(東京都・埼玉県)
- 美濃国(岐阜県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
吉沼(よしぬま)は、桓武平氏大掾氏の一族で、常陸国(茨城県)那珂(茨城)郡吉沼邑から起こる。……(中略)「吉田」「馬場」などの項を見よ。また武義などに存する。次の項の氏と同じく武蔵(東京都・埼玉県)などにも存する。……(中略) (このあと原文は次の見出し「善根連」の記事に移る)善根連(ぜんこんのむらじ)は、美濃(岐阜県)の豪族で、○○二年紀に「美濃国方県郡前幅大領・外正八位下美軽貞権に、姓を善根連と賜う」とあるところから出る(年号の一部は原文が崩れて読み取れない)。「美軽」の項を参照。 (このあと原文は次の見出し「由根」に移るが本文はなく、そのまま次の見出し「吉野」の記事につながっている)吉野(よしの・よしぬ)は、大和国(奈良県)吉野郡をいう。神武天皇以来の名高い土地で、元正天皇の御代には芳野監を置き、国・郡とは別に立てられた。のちに郡となり、「和名抄」に与之乃と註す。 また、大館高門所蔵の「律疏断簡」には日本国は六十七か国とあって和泉国(大阪府)・佐渡国(新潟県)を挙げているので、天平宝字元年に和泉国が立てられた後に記されたものだが、「芳野監・芳野国、郡二、郷三、里九」とあることを思うと、当時、芳野国というものがあったために六十七国としたのであろう。 そして大和を大倭と書き、山城(京都府)を山代と書いていることから、延暦以前、すなわち奈良時代のことであると分かる(「荘図考」)。同郡内に吉野郷があり、奥之乃と註し、現在は吉野宮があって、後醍醐天皇を祀っている。 次に美作国(岡山県)英多郡に吉野郷を収める。中世に吉野郡の私称が起こる。また勝田郡にも吉野郷があり、古吉野村・北吉野邑などが残っている。そのほか、摂津(大阪府・兵庫県)・甲斐(山梨県)・武器・上総(千葉県)・両前・与賀・誠前・阿波(徳島県)・讃岐(香川県)・土佐(高知県)・薩摩(鹿児島県)などにこの地名が存する。 【1】吉野首 ― 大和国吉野郡吉野の土豪である。「古事記」神武段に「その地(吉野川の下流)から進んで行かれると、尾のある人が井戸から出てきた。その井戸には光があった。そこで『お前は誰か』と尋ねられると、『私は国神で、名を井氷鹿という』と答えた。これは吉野首らの祖である」とあり、 また「神武紀」には「天皇が……(中略)吉野に至られたとき、人が井戸の中から出てきた。光っていて尾があった。天皇がこれに『お前は何者か』と問われると、『私は国神で、名を井光という』と答えた。これはすなわち吉野首部の始祖である」と見える井光の子孫である。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
吉沼ヨシヌマ桓武平氏大掾氏の族にして、常陸國那珂(茨城)郡吉沼邑より起る。……吉田、馬場等の條を見よ。又武義等に存す。次條氏に同武藏等に存す。……善根連美濃の豪族にして、寫詳二年紀に「美濃國方縣郡前幅大領外正八位下美軽貞權に、性を善根運と脳ふ」とあるより出づ。美軽條參照。由根ヨハネ吉野ヨシノヨシヌ子·反大和國吉野郡は、神武天皇以來の名區にして、元正天皇朝には芳野監を置き、國郡以外に立てリ。後郡となり、和名抄に與之乃と註す。又律疏斷簡(大館高門所藏)は日本國六十七とありて、和泉國、佐渡國を擧げたれば、天平寶字元年に和泉國を立られし後に記せし者なれど、「芳野監·芳野國、郡二、郷三、里九」とあるを思ふに、當時、芳野國と云ふがありし故に、六十七國となせしならん。而して大和を大倭とかき、山城を山代とあるにて、延曆以前、即ち奈良の朝の事なるを知るべし(莊圖考)능郡内に吉野郷ありて、奥之乃と註し、現今吉野宮ありて、後醍國天皇を奉祀す。次に美作國英多郡に吉野掃を收む、中世·吉野郡の私稱起る。又博田郡にも吉野郷ありて、古吉野村、北吉野邑等殘れり。その他、攝津、甲斐、武器、上總、兩前、与賀、誠前、阿波、讃岐、土佐、薩摩等に此の地名存す。 1吉野首大和國吉野郡吉野の土豪也。古事記、神武段に「其の地(吉野河尻)よリ幸行ませば、尾ある人·井より出で來。其の井に光あり。爾に問ひ給はく、汝は誰ぞやと。答へて日す、僕は國神、名を井氷鹿と謂すと。此は吉野首等が祖也」と載せ、また神武紀に「天皇云々、吉野に至ります時に、人ありて井の中より出づ、光りて尾あり。天皇·之に問ひて宣はく、汝は何人ぞ、對へて曰さく、臣は是れ國砂、名を井光と爲すと。此は則ち吉野首部が始祖也」と見ゆる井光の後也。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
吉沼に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「吉」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が吉沼の前後にある名字です。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →
