橘永愷
たちばな ながやす
988年〜1050年
平安時代中期の僧侶・歌人
能因(のういん、永延2年(988年) - 永承5年(1050年)あるいは康平元年(1058年))は、平安時代中期の僧侶・歌人。
基本情報
- 生年
- 988年
- 没年
- 1050年
- 時代
- 平安時代
- 名字
- 橘
- 肩書
- 平安時代中期の僧侶・歌人
- 出典
- 能因の家系図
この人について
能因(のういん、永延2年(988年) - 永承5年(1050年)あるいは康平元年(1058年))は、平安時代中期の僧侶・歌人。俗名は橘永愷(たちばな の ながやす)。法名は初め融因。近江守・橘忠望の子で、兄の肥後守・橘元愷の猶子となった。子に橘元任がいた。中古三十六歌仙の一人。
この略歴はウィキペディア日本語版「能因」(CC BY-SA 4.0)からの引用です。 元の記事を読む →
家系図(近い家族)
橘永愷を中心に、公開されている家系図をつなぎ合わせて、父母・兄弟姉妹・配偶者・子を描いています。ほかの家系図と同じように、動かしたり拡大したりでき、人物を押すとその人の詳細とページが開きます。
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家族
名字の家紋
『姓氏家系大辞典』の「橘」の項より。この人物が用いた紋という記録ではありません。
年表:橘永愷と、その時代
年表の見方
- 上の段は本人の出来事です。帯は誕生から死去までの期間を表します(没年が分からない方は、帯の右端がうすくなります)。
- 下の段は、同じころに日本で起きた主な出来事です。
- 「すべて」「本人」「日本の出来事」のボタンで、見たい段だけに絞り込めます。
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- 月まで分かる出来事は、その月の位置に点を打っています。明治5年(1872年)以前の月は和暦(旧暦)の月です。
この人の出来事を、同じころに起きた日本の出来事とあわせて見ることができます。
本人
- 988年誕生
- 1050年死去
日本の出来事
- 1016年藤原道長が摂政となる
- 1019年刀伊の入寇。北九州が襲われる
年表を一覧で読む
| 988年 | 本人:誕生 |
|---|---|
| 1016年 | 日本の出来事:藤原道長が摂政となる |
| 1019年 | 日本の出来事:刀伊の入寇。北九州が襲われる |
| 1050年 | 本人:死去 |
- 本人の出来事
- 日本の出来事
- 本人の生涯・活動期間
年表でわかること
この年表では、橘永愷の生涯の主な出来事と、同じ時代に起きた日本の出来事を横並びで見ることができます。それぞれの出来事の時期を比べることで、橘永愷がどのような時代背景の中で生きていたのかが、より分かりやすくなります。
日本の出来事は、当サイトが主要なものを選んで記したものです。
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