徳川斉彊

とくがわ なりかつ

1820年〜1849年

江戸時代生まれ徳川

紀伊和歌山藩第12代藩主

徳川 斉彊(とくがわ なりかつ)は、江戸時代後期の大名。

基本情報

生年
1820年
没年
1849年
時代
江戸時代
名字
徳川
肩書
紀伊和歌山藩第12代藩主
出典
徳川家茂の家系図、徳川慶喜の家系図

この人について

徳川 斉彊(とくがわ なりかつ)は、江戸時代後期の大名。清水徳川家第5代当主を経て紀州徳川家を継ぎ、紀伊和歌山藩の第12代藩主となる。

11代将軍・徳川家斉の二十一男。母は吉江左門の娘・本性院。12代将軍・徳川家慶は異母兄であり、13代将軍・徳川家定は甥にあたる。

この略歴はウィキペディア日本語版「徳川斉彊」(CC BY-SA 4.0)からの引用です。 元の記事を読む →

家系図(近い家族)

徳川斉彊を中心に、公開されている家系図をつなぎ合わせて、父母・兄弟姉妹・配偶者・子を描いています。ほかの家系図と同じように、動かして拡大でき、人物を押すとその人の詳細とページが開きます。

和宮徳川家茂和宮親子内親王徳川斉彊
養子
和宮
家茂の正室
徳川家茂
次男
江戸幕府第14代征夷大将軍
1846年7月17日1866年8月29日
和宮親子内親王
孝文明治天皇の皇妹
徳川斉彊
紀伊和歌山藩第12代藩主
1820年6月8日1849年3月24日
100%

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家族

年表:徳川斉彊と、その時代

年表の見方

  • 上の段は本人の出来事です。帯は誕生から死去までの期間を表します(没年が分からない方は、帯の右端がうすくなります)。
  • 下の段は、同じころに日本で起きた主な出来事です。
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  • 月まで分かる出来事は、その月の位置に点を打っています。明治5年(1872年)以前の月は和暦(旧暦)の月です。

この人の出来事を、同じころに起きた日本の出来事とあわせて見ることができます。

表示範囲
本人
日本の出来事
江戸時代
1810
1815
1820
1825
1830
1835
1840
1845
1850
1855
1860

本人

  1. 1820年6月誕生
  2. 1846年子・徳川家茂 誕生
  3. 1849年3月死去

日本の出来事

  1. 1825年異国船打払令が出される
  2. 1833年天保の飢饉が始まる
  3. 1837年大塩平八郎の乱が起こる
  4. 1839年蛮社の獄で蘭学者が罰せられる
  5. 1841年水野忠邦の天保の改革が始まる
年表を一覧で読む
徳川斉彊と日本の出来事(年の順)
1820年6月本人:誕生
1825年日本の出来事:異国船打払令が出される
1833年日本の出来事:天保の飢饉が始まる
1837年日本の出来事:大塩平八郎の乱が起こる
1839年日本の出来事:蛮社の獄で蘭学者が罰せられる
1841年日本の出来事:水野忠邦の天保の改革が始まる
1846年本人:子・徳川家茂 誕生
1849年3月本人:死去
  • 本人の出来事
  • 日本の出来事
  • 本人の生涯・活動期間

年表でわかること

この年表では、徳川斉彊の生涯の主な出来事と、同じ時代に起きた日本の出来事を横並びで見ることができます。それぞれの出来事の時期を比べることで、徳川斉彊がどのような時代背景の中で生きていたのかが、より分かりやすくなります。

年表はサイト運営者が主要な出来事を選んで記したものです。

明治5年(1872年)以前の月は、和暦(旧暦)の月です。

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