幹仁親王
もとひとしんのう
1377年〜1433年
後小松天皇
後小松天皇(ごこまつてんのう、旧字体: 後小松󠄁天皇、1377年8月1日〈永和3年6月27日〉- 1433年12月1日〈永享5年10月20日〉)は、日本の第100代天皇および北朝第6代天皇(在位:1382年5月24日〈永徳2年4月11日〉…
基本情報
- 生年
- 1377年
- 没年
- 1433年
- 時代
- 室町時代
- 肩書
- 後小松天皇
- 出典
- 後円融天皇の家系図
この人について
後小松天皇(ごこまつてんのう、旧字体: 後小松󠄁天皇、1377年8月1日〈永和3年6月27日〉- 1433年12月1日〈永享5年10月20日〉)は、日本の第100代天皇および北朝第6代天皇(在位:1382年5月24日〈永徳2年4月11日〉- 1392年11月19日〈明徳3年閏10月5日〉 - 1412年10月5日〈応永19年8月29日〉)。諱は幹仁(もとひと)。
後円融天皇の第一皇子。母は内大臣三条公忠の女の三条厳子(通陽門院)。禅僧一休宗純は後小松の落胤と伝わる。
この略歴はウィキペディア日本語版「後小松天皇」(CC BY-SA 4.0)からの引用です。 元の記事を読む →
家系図(近い家族)
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家族
年表:幹仁親王と、その時代
年表の見方
- 上の段は本人の出来事です。帯は誕生から死去までの期間を表します(没年が分からない方は、帯の右端がうすくなります)。
- 下の段は、同じころに日本で起きた主な出来事です。
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- 月まで分かる出来事は、その月の位置に点を打っています。明治5年(1872年)以前の月は和暦(旧暦)の月です。
この人の出来事を、同じころに起きた日本の出来事とあわせて見ることができます。
本人
- 1377年誕生
- 1401年子・實仁親王 誕生
- 1404年子・小川宮 誕生
- 1406年子・理永女王 誕生
- 1433年死去
日本の出来事
- 1392年南朝と北朝が一つに戻る
- 1397年足利義満が金閣を建てる
- 1400年世阿弥が風姿花伝を書き始める
- 1404年明との勘合貿易が始まる
- 1419年応永の外寇。朝鮮軍が対馬を襲う
- 1428年正長の土一揆が起こる
- 1429年琉球王国がひとつにまとまる
年表を一覧で読む
| 1377年 | 本人:誕生 |
|---|---|
| 1392年 | 日本の出来事:南朝と北朝が一つに戻る |
| 1397年 | 日本の出来事:足利義満が金閣を建てる |
| 1400年 | 日本の出来事:世阿弥が風姿花伝を書き始める |
| 1401年 | 本人:子・實仁親王 誕生 |
| 1404年 | 本人:子・小川宮 誕生 |
| 1404年 | 日本の出来事:明との勘合貿易が始まる |
| 1406年 | 本人:子・理永女王 誕生 |
| 1419年 | 日本の出来事:応永の外寇。朝鮮軍が対馬を襲う |
| 1428年 | 日本の出来事:正長の土一揆が起こる |
| 1429年 | 日本の出来事:琉球王国がひとつにまとまる |
| 1433年 | 本人:死去 |
- 本人の出来事
- 日本の出来事
- 本人の生涯・活動期間
年表でわかること
この年表では、幹仁親王の生涯の主な出来事と、同じ時代に起きた日本の出来事を横並びで見ることができます。それぞれの出来事の時期を比べることで、幹仁親王がどのような時代背景の中で生きていたのかが、より分かりやすくなります。
日本の出来事は、当サイトが主要なものを選んで記したものです。
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