石畳

鵜殿

うどのUdono

全国6473位 ・ 約1,460人

鵜殿(うどの)は、紀伊国牟婁郡鵜殿邑から起こる。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
うどの
ローマ字
Udono
全国順位
全国6473位
推計人数
約1,460人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

鵜殿をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Udono読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「鵜殿」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第1巻 354コマに「家紋〓內三石疊」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 紀伊国(和歌山県)
  • 石見国(島根県)
  • 駿河国(静岡県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

鵜殿(うどの)は、紀伊国(和歌山県)牟婁郡鵜殿邑から起こる。この地に古城跡があり、「続風土記」に「村の四方の山にあり、鵜殿石見守の城跡である」と見える。 【1】熊野古族 ― 鵜殿氏の出自については種々の説がある。あるいは鈴木氏と同様に穂積姓であるといい、あるいは長宗我部氏の伝説によって秦姓とし、あるいは熊野別当の族で藤原姓と称する。熊野新宮神官の一つで、文亀二年の文書に「六番頭鵜殿」と見える。 「続風土記」に次のようにある。「鴨殿右馬之亟は、高倉下命七十九代の孫・千代包の後だという。系図に高○という人があり、文書に『駿河国(静岡県)服織荘上分米は、元亨二年、長行・高朝の二人に分けて知行した』とあり、高○は高朝の子であろう」と載せる。 また四箇荘の条に「もと何人の領であったか知りようがないが、おおかた新宮社家の領するところであろう。後に四箇村のうち鵜殿・成川の二村は、天正・慶長の頃、鵜殿氏の領するところとなったという。堀内氏が盛んであった時、鵜殿氏はその親族となり、旗下に属した」とある。 「大坂落城の時、鵜殿石見守は堀内主水とともに天樹院尊夫人を守護し、大坂城中を逃れた功により、二千石を賜り旗下に召された。石見守は鵜殿で千五十石の地を賜った。元禄の頃に至り、子がなかったため家は断絶した」と見える。 【2】秦姓 ― 「長宗我部系図」に「鵜殿、秦姓、家紋は○内三ツ石畳。先祖は紀伊熊野新宮七人衆の常香の末孫である。長持(鵜殿三郎)○信」と見える。これは第一項の鴨殿氏に同じである。長持は三河(愛知県)の鵜殿氏で、後に述べる。 「寛永・寛政の両系譜」には、鴨殿氏を称する家が九家あり、あるいは秦氏常香の後といい、あるいは熊野別当湛増の裔だという。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

鵜殿ウドノ紀伊國牟婁郡鵜殿邑より起る。此の地に古城跡あり、續風土記に「村の四山にあり、鵜殿石見守の城跡也」と見ゆ。 1熊野古族鵜殿氏の出自については種々の說あり、或は鈴木氏と同樣穗積姓なりと云ひ、或は長曾我部氏の傳說によりて秦姓となし、或は熊野別當族にして藤原姓と稱す。熊野新宮神官の一にして、文龜二年の文書に「六番頭鵜殿、」と見ゆ。續風土記に「鴨殿右馬之亟、高倉下命七十九代の孫千代包の後なりといふ。系圖に高〓といふ人あり、文書に『駿河國服織莊上分米、元享二年、長行高朝二人に分ち、知行』とあり。高〓、高朝の子なるべし、」と載せ、又四箇莊條に「舊何人の領なるか知るべからざるも、大低新宮社家の領する處ならむ。後四箇村の中、鵜殿、成川の二村、天正慶長の頃、鵜殿氏の領する處といふ。堀内氏盛んなりし時鵜殿氏親族となり、其の旗下に屬す。大阪蒂城の時、鵜殿石見守、堀内主水と共に天樹院尊夫人を守護し、大阪城中を遁れし其功に依り、二千石を賜ひ旗下に召さる。石見守、鵜殿にて千五十石の地を賜ふ。元祿の頃に至り子なきを以て家斷絕す、」と見ゆ。……3秦姓長曾我部系圖に「鵜殿、秦姓、家紋〓內三石疊。先祖紀伊熊野新宮七人の常香の末孫也。長持(鵜殿三郞)〓信、」と見ゆ。第一項の鴨殿氏に同じ。長持は三河の鵜殿氏なり、後に云ふべし。寛永寬政兩系譜鴨殿氏を稱する家九、或は秦氏常香の後と云ひ、或は熊野別當湛增の裔なりと云ふ。

姓氏家系大辞典 第1巻 354コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

鵜殿に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が鵜殿の前後にある名字です。

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