この名字はまだ図鑑に載っていません
全国23476位約175人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「高金」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
十文字
縦横に交わる十字の図案。
『姓氏家系大辞典』第3巻 497コマに「紋立二引龍十文字」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
高金(たかかね)、高河原(たかがはら)、高川原の各項を合わせて述べれば、『続風土記』の古座浦城跡の項に「村の山手にあり。高河原摂津守の城跡である」とある。高瓦摂津守貞盛父子とも見える。そして旧家高瓦氏の項に「三位中将平維盛の遺孫であり、代々塩崎庄に居住している。中古に高瓦摂津守が北島具○に仕えた。元亀年中、堀内氏の太田庄佐目城主椎橋新左衛門を討ち取り、ついにこの城を奪った。以後太田庄下里村から南を領した。」
高金タカカネ高河原タカガハラ高川原條に併せ云へ續風土記、古座浦城跡條に「村の山手にあり。高河原攝津守の城跡なリ」と。高瓦攝津守貞盛父子とも見ゆ。而して舊家高瓦氏條に「三位中將平維盛の遺孫にして、代々鹽崎莊に居住す。中古高瓦攝津守、北島具〓に仕ふ。元龜年中、堀内氏の太田莊佐目城主椎橋新左衞門を討ち取り、遂に此の城を奪ふ。此よリ太田莊下里村より南を領す。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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