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全国13372位約467人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
須和(すわ)、洲脇(すわき)、○ノワキ備前国(岡山県)児島郡阿津色小字洲の脇より起こる。延宝四年の墓碑銘に拠れば、藤原七兵衛の子・洲の脇治兵衛、初めてこの氏を称すると也(墓は同津の天祥寺に存する)。されど家伝には、○和源氏とし、十郎蔵人行家十数代の孫「堀の内氏虎(紀州(和歌山県)佐野、足利氏に仕える)−氏善(加藤○正に仕える、肥後宇土郡)−新宮左馬允行朝(香林秀村大轟門延宝四年、藤原七兵衛に改む)」とする。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
須和スワ洲脇スワキスノワキ備前國兒島郡阿津色小字洲の脇より起る。延寶四年の墓碑銘に據れば、一藤原七兵衞の子·洲の脇治兵衞、初めて此の氏を稱すと也(墓は同津の天祥寺に存す)。されど家傳には、〓和源氏とし、十郞藏人行家十數代の孫「堀の內氏虎(紀州佐野、足利氏に仕ふ)-氏善(加藤〓正に仕ふ、肥後宇土郡)-新宮左馬允行朝(香林秀村大轟門延寶四年、藤原七兵衞に改む)」とす。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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