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全国21189位約211人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
雨倉(あまくら)は尼子(あまこ)と同じ。『和名抄』には近江国(滋賀県)犬上郡に尼子○があり、佐々木氏の一族がこの地に拠って尼子氏と称した。『佐々木系図』に「京極高秀(明都二年討秀)-尼子高久六郎左衛門、刑部)-詮久田相守江州尼子持久而至少輔-○定局あ小麺-経久○四郎相登守雲州(島根県)尼子、就正坐寺五郎政久民部少輔、父四郎、母吉川伊豆守女永正十年九月六日大内合戦の時、城中流矢死去、二十六歳安西国久長科郎、刑而小輔、証時治刑務中転○天文廿三年十一月
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
雨倉アマクラ尼子アマコ和名抄近江國犬上郡に尼子〓あり、佐々木氏の一族此の地に據りて尼子氏と稱す。佐々木系圖に、「京極高秀(明都二年討秀)-尼子高久六郎左衞門、刑部)-詮久田相守江州尼子持久而至少輔-〓定局あ小麺-經久ダ四郎相登守雲州尼子、就正坐寺五郎政久民部少輔、父四郎、母吉川伊豆守女永正十年九月六日大内合戰の時、城中流矢死去、二十六歲安西國久長科郎、刑而小輔、證時治刑務中轉ure天文廿三年十一月
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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