この名字はまだ図鑑に載っていません
全国15454位約367人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
阿久澤(あくさわ)は、または愛久澤、または芥澤に作る。上野(群馬県)、大隅(鹿児島県)、加賀等の数流があるが、上州の阿久澤がその根源のようである。上州阿久澤氏は桐生七騎の一であり、『関東古戦鋒』に上野深澤城主・阿久澤能登守、また『新田正傳』等に「永禄二年新田成繁が黑川山中を攻め、元亀三年新田が深澤の城主阿久澤能登守を攻めて深澤は終に落城した」などと見える。この能登守を『新田老談記』では愛久澤能登と作り、また『名跡考』『国志』等では芥澤氏に作る。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
阿久澤アクサハ或は愛久澤、或は芥澤に作る。上野、大隅、加賀等の數流あれど上州の阿久澤、その根源なるが如し。上州阿久澤氏は桐生七騎の一にして關東古戰鋒に上野深澤城主阿久澤能登守、また新田正傳或間に「永祿二年新田成繁、黑川山中を攻む、元亀三年新田より深澤の城主阿久澤能登守を攻められ深澤終に落城す」など見ゆ。この能登守を新田老談記に愛久澤能登ず、また名跡考、國志等芥澤氏に作る。
『姓氏家系大辞典』はこの名字を「阿久沢」の表記で立項しています。引用はその項のものです。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
「阿久澤」の家系図は、まだ1つも公開されていません。あなたが最初のひとりになれます。ログインなしで、そのまま作り始められます。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →