この名字はまだ図鑑に載っていません
全国11592位約586人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「長曽我部」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
片喰
ハート形のカタバミの葉を三枚、丸く寄せた図案。
『姓氏家系大辞典』第4巻 169コマに「家紋鳩酸草」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
長曾我部(ちょうそかべ)は蘇我臣の配下であった宗我部の子孫であり、蘇我部の条で述べたようなもので、土佐国には香美郡の宗我部と長岡郡の宗我部があったので、後世に郡名を採って、前者を香宗我部と言い、後者は長曾我部と称した。すなわち長曾我部とは、長岡の曾我部の意である。『和名抄』は長岡郡に宗我○を載せ、曾加部と注している。秦氏族のこの氏は系図その他に広く秦氏の子孫と伝えられている。すなわち長曾我部系図に「家伝に云う、秦河勝の後裔である。
長曾我部チヤウソカペ蘇我臣の配下たりし宗我部の裔にして、蘇我部條に云ひたるが如く、土佐國には、香美郡の宗我部と、長岡郡の宗我部とありしにより、後世郡名を採リて、前者を香宗我部と云ひ、後者は長曾我部と稱す。卽ち長曾我部とは、長岡の曾我部の意たるなり。和名抄、長岡郡に宗我〓を載せ、曾加部と註す。1秦氏族この氏は、系圖、その他廣く、秦氏の裔と傳へらる。卽ち長曾我部系圓に「家傳に云ふ、秦河勝の後胤也。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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