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全国11859位約566人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
金江(かねえ・かなえ)は、丹後の金江氏は当国の豪族であり、丹波郡平岡城(善王寺)に拠った。城主に金江右衛門五郎、金江土佐守などがいる。当城は元応年中、武藤右京進政○の築城であり、政○は将軍義晴の小姓だった人だと言われている。天正十年夏、陥落した。朝鮮帰化族で、姓は李であり、朝鮮金江の人であり、慶長の役に龍造寺家久に従い、帰化した陶工の後裔である。
金江カネエカナエ1丹後の金江氏當國の豪族にして、丹波郡平岡城(善王寺)に據る。城主に金江右衞門五郞、金江土佐守等あり。當城は元應年中、武藤右京進政〓の普請、政〓は將軍義晴の小姓なりし人と云ふ。天正十年夏陣落城すとなり。2朝鮮歸化族姓は李、朝鮮金江の人にして、慶長の役、龍造寺家久に從ひ、歸化せし陶工の後なり。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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