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全国14696位約399人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
重○(しげきょう)は、阿波国(徳島県)美馬郡重○邑から起こった。三好氏の族であり、『故城記』の上郡美馬三好郡分に「重○殿・小笠原・源氏・家紋松皮二竝(右近大夫貞光同所の由)」と見え、また「脇殿・重清豊後守」を載せ、また一本の麻植郡分に重重○殿がある。『西讃府志』に「大西覺用・天正元年、美馬郡重○の城を攻め、城主重清豊後守を滅し、遂にその城を奪いて移り住んだ。然るに豊後守の一族伊澤権之進に囲まれた云々」と。オオニシ・イサハの項を見てほしい。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
重〓シゲキョ阿波國美馬郡重〓邑より起る。三好氏の族にして、故城記、上郡美馬三好郡分に「重〓殿、小笠原、源氏、家紋松皮二竝(右近大夫貞光同所の由)」と見え、また「脇殿。重清豐後守」を載せ、又一本·麻植郡分分重重〓殿あり。西讃府志に「大西覺用·天正元年、美馬郡重〓の城を攻め.城主重清豐後守を滅し、遂に其の城を取りて移り居れり。さるを豐後守の一族伊澤權之進に圍まる云々と。オホニシ、イサハ條を見よ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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