達
この名字の読みはまだ確かめられていません(誤った読みを出さないため、推測では載せていません)。
全国8043位 ・ 約1,050人
達(たて・たつ)は、前後の各条を見よ。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 全国順位
- 全国8043位
- 推計人数
- 約1,050人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 岩代国(福島県)
- 肥前国(佐賀県・長崎県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
達(たて・たつ)は、前後の各条を見よ。また○家に達長老がある。 田手(たて)は、岩代(福島県)・肥前等にこの地名が存する。 【1】利仁流藤原姓後藤氏族 ― 肥前(佐賀県・長崎県)の豪族で、「後藤家事蹟」に「後藤介政明の弟・次郎篤明は、鎌倉にて功があり、神崎郡田手村を賜り、田手後藤氏という」と見える。 【2】藤原北家伊達氏族 ― 伊達朝宗の子・実網の子孫が田手と称する。「伊達世臣家譜」に、志西公の六男を伊達崎実綱という。初め伊達郡伊達崎に住み、これによって氏とし、後に田手と改めた。実綱から三郎売烈(号本斎)に至るまでの世数は詳らかでない。……(中略) 宗光は、初名を時実といった。その後、田手(伊達)肥前守宗房に至って、万治二年に初めて一門に列せられ、江刺郡口内邑から磐井郡東山大原邑に移り、秩三千石であった。子の助三郎村房は、伊達綱村に養われて嗣となった。伊達吉村がこれである。次子村興は父の後を継いだ。 宗実は義山公の八男で、要害地を業田郡前川邑川崎に賜り、秩七千石、享保七年に至って移り、黒川郡床邑に住み、八千石を領した(「世臣家譜」)。「伊達」の項を参照。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
達タテタツ前後各條を見よ。又〓家に達長老あり。田手タテ岩代、肥前等に此の地名存す。 1利仁流藤原姓後藤氏族肥前の豪族にして、後藤家事蹟に「後藤介政明の弟·次郎篤明は、鎌倉にて功ありて、神崎郡田手村を賜ひ、田手後藤氏と云ふ」と見ゆ。 2藤原北家伊達氏族伊達朝宗の子實網の子孫田手と稱す。伊達世臣家譜に志西公の六男を伊達崎實綱と云ふ。始め伊達郡伊達崎に住み、因りて以つて氏と爲し、後田手と改む。實綱より三郞賣烈(號本齋)に至る世數詳かならず。……宗光、初名を時實と云へり。その後、田手(伊達)肥前守宗房に至り、萬治二年に始めて一門に列せられ、江刺郡口内邑よリ磐井郡東山大原邑に移り、秩三千石たリ。子の助三郞村房は、伊達綱村に養はれて嗣となる、伊達吉村·是れ也。次子村興は父の後を繼ぐ、宗實は義山公の八男也要害地を業田郡前川邑川崎に賜ひ、秩七千石、享保七年に至リ移りて、黒川郡床邑に住み、八千石を領す(世臣家諸)。伊達條參照。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
達に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「達」で始まる・達を含む名字
達の字をそのまま含む、より長い名字です。
同じくらいの多さの名字
全国順位が達の前後にある名字です。
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