この名字はまだ図鑑に載っていません
全国17864位約287人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「赤林」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
茗荷
ミョウガの花穂を二つ、向かい合わせに抱かせた図案。
桜
桜の花を、先の割れた五枚の花びらで表した図案。
『姓氏家系大辞典』第1巻 23コマに「家紋抱囊荷、七枚葉櫻花」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
赤林(あかばやし)は『太平記』巻十六に赤林氏があり、また水戸藩の重臣にもこの氏がある。【1】○和源氏 ― 足利氏族仁木の庶流であり、抱囊荷を家紋とした。【2】藤原流 ― 家康の臣伊藤半四郎重氏の子半兵衛重安が外男赤林重道の名跡を継ぎ赤林を称することが『寛政系図』に見える。家紋は抱囊荷・七枚葉桜花。【3】『尾張志』に海部郡新屋村の人赤林孫七郎が武衛家に仕え、その後織田信友に与して天正二十二年萱津で死んだ、その子を掃部と言ったという。また京極殿給帳に赤林権左衛がある。
赤林アカバヤシ太平記卷十六に赤林氏あり、又水戶藩の重臣に此の氏あり。1〓和源氏足利氏族仁木の庶流にして抱囊荷を家紋とす。2藤原流家康の臣伊藤半四郞重氏の子半兵衞重安、外男赤林重道の名跡を繼ぎ赤林を稱する事寬政系圖に見えたり。家紋抱囊荷、七枚葉櫻花。3尾張志に海部郡新屋村の人赤林孫七郞武衞家に仕へ、後織田信友に與して天正廿二年萱津に死す、其の子を掃部と云ふと。又京極殿給帳に赤林權左衞あり。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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