この名字はまだ図鑑に載っていません
全国19111位約255人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「赤埴」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
桔梗
桔梗の花を、五つの尖った花びらで表した図案。
鱗
三角形を三つ積んだ図案。
『姓氏家系大辞典』第1巻 22コマに「紋桔梗、家紋三重鱗、代紋丸立浪、桔櫃」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
赤埴(あかはに)・赤羽(あかばね)は、下野国(栃木県)芳賀郡赤埴(後世赤羽)及び大和国(奈良県)宇陀郡赤埴村から起こった、従って二流ある。【1】藤原氏 ― 下野の赤埴から起こった。『君島系図』に永禄中、赤埴伊豫守藤原綱雄、同大膳亮綱安を載せた。赤穂の義士赤埴源蔵重賢も藤原といえば、この流であろうか。【2】三輪氏後裔 ― 大和宇陀の赤埴から出た氏であり、宇陀郡内の名族。戦国の頃には十市遠忠の麾下として二万石程の地を領したと言う。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
赤埴アカハニ、アカバネ下野國芳賀郡赤埴(後世赤羽)及び大和國宗陀郡赤埴村より起る、從つて二流あり。1藤原氏下野の赤壇より起る。君島系圖に永祿中、赤埴伊豫守藤原綱雄、同大膳亮綱安を載せたり。赤穗の義士赤埴源藏重賢も藤原と云へば、この流か。2三輪氏後裔、大和字陀の赤埴よリ出でし氏にして、宇陀郡内の名族、戰國の頃には十市遠忠の麾下として二萬石程の地を領せりと云ふ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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