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全国20342位約227人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
賀田・堅・荷田(かだ・かた・かだ)は、山城伏見稲荷社の祠官であり御殿預である。他の同社の祠官はほとんど皆秦宿福姓を名乗るが、この氏は荷田宿禰と言い、雄略天皇の裔であると言う。すなわち羽倉御殿預家の系図に「雄略天皇皇子磐城王斎(荷田氏大祖)荷田段(和銅四年、後に祠官となる)―嗣(天平年中)―早―龍」とある。子孫は西羽倉目代家・京羽倉家などに分かれた。詳細は『羽倉の項』を見てほしい。徳川時代、信詮の子春満は学者として名高く、国学四大人の一である。
賀田カダ堅カタ荷田カダ山城伏見稲荷社の祠官にして御殿預たり。他の同社祠官は殆んど皆秦宿福姓と稱すれど、此の氏は荷田宿禰と云ひ、雄略天皇の裔なりと云ふ。卽ち羽倉御殿預家の系圖に「雄略天皇皇子磐城王齋、(荷田氏大祖)荷田段(和銅四年、後に祠官となる)-嗣(天平年中)-早-龍」と。子孫·西羽倉目代家、京羽倉家等に分る。詳細はハクラ條を見よ。德川時代、信詮の子春滿·學者として名高レ、國學四大人の一也。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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