この名字はまだ図鑑に載っていません
全国11859位約566人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「貝野」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
菊水
菊の花を、放射状の花びらで表した図案。
『姓氏家系大辞典』第2巻 275コマに「家紋は肘張菊水」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
貝野(かひの)は攝磨國に貝野庄があり、その地名を負ったか。甲斐庄は河内の豪族であり錦部郡甲斐庄から起こった。橘姓楠木氏の後裔だという。長祿寬政記に「後陣は須屋、甲斐庄以下の楠黨である」また「甲斐庄民部丞、同弟新左衞門尉」「甲斐庄、和田、鹽川以下の河內衆」などを載せ、應仁記に「一譽田、○屋・甲斐庄」また「楠の末葉に、和田、隅屋、甲斐庄として河內に三人いる」とまた應仁私記に「甲斐莊新九郞○○(新左衞門正俊の子
貝野カヒノ攝磨國に貝野庄あり、その地名を負ひしか。甲斐庄河内の豪族にしてカヒノシヤウ錦部郡甲斐庄より起る。橘姓楠木氏の後裔なりと。長祿寬政記に「後陣は須屋、甲斐庄以下の楠黨也、」また「甲斐庄民部丞、同弟新左衞門尉、」「甲斐庄、和田、鹽川以下の河內衆」などを載せ、應仁記に一譽田、隔屋.甲斐庄」また「楠が末葉に、和田、隅屋、甲斐庄とて河內に三人有リ」とまた應仁私記に「甲斐莊新九郞まさ續(新左衞門正俊子
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
「貝野」の家系図は、まだ1つも公開されていません。あなたが最初のひとりになれます。ログインなしで、そのまま作り始められます。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →