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全国24062位約167人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
豊間(とよま)は○和源氏佐竹氏族磐城国(福島県・宮城県)磐城郡豊岡邑から起こった。『佐竹系図』に「佐竹義胤の子義熊に豊間」と注している。また「彦四郎」と載せ、『新編図志』に「豊間義胤の四子義照・岩城郡豊間に居り、豊間彦四郎と称する。系図)。延元二年、石河族を援けて、三六、湯本の二城を攻めた(飯野文書)。子に義介がある(長福寺文書)」とその他、『光明寺文書』、暦応二年の壇部譲状に佐竹豊間殿、『岩城仁科系図』に「中山讃岐守隆吉の女(豊間能登守妻)」と見える。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
豐間トヨマ1〓和源氏佐竹氏族磐城國磐城郡豊岡邑より起る。佐竹系圖「佐竹義胤の子義熊に豐間」と註す。又「彦四郞」と載せ、新編圖志に「豊間義胤の四子義照·岩城郡豐間に居り、豐間彥四郞と稱す系圖)。延元二年、石河族を援けて、三六、湯本の二城を攻む(飯野文書)。子に義介あり(長福寺文書)」とその他、光明寺文書、曆應二年の壇部讓狀に佐竹豐間殿、岩城仁科系圖に「中山讃岐守隆吉の女(豐間能登守妻)」と見ゆ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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