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全国20174位約231人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
規矩(きく)は、前述の豊前(福岡県・大分県)の規矩郡から起こった。【1】桓武平氏長野氏流 ― 左大臣平時盛の六男修理大夫康盛の後であると『長野の項』を見てほしい。【2】同じく北条氏流で、鎌倉執権北条家の一門であり、『博多日記』に正慶二年三月十五日、規矩殿の御入りが記される。同十六日の丑の刻、規矩殿は肥後国(熊本県)の地頭御家人を伴い、肥後に向かった。阿蘇大宮司・菊池が同行する由、鷹の白状がある間に、阿蘇に向かった(注文は別紙にある)。筑州・江州(滋賀県)以下の大名や御家人などが御所に参籠った。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
規矩キク前述豐前の規矩郡よリ起る。1桓武平氏長野氏流左大臣平時盛の六男修理大夫康盛の後なりと、ナガノ條を見よ。2同北條氏流鎌倉執權北條家の一門にして、博多日記に正慶二年三月十五日、規矩殿御入り。同十六日丑時、規矩殿、並に肥後國地頭御家人を相具し、肥後に御向あり。阿蘇大宮司、菊池に一具の由、鷹の白狀ある間、阿蘇に御向(注文別紙にあり)。筑州、江州以下、大名、並に御家人等·御所に參リ籠らる。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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