この名字はまだ図鑑に載っていません
全国11541位約590人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「西須」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
丸に桔梗
桔梗の花を、五つの尖った花びらで表した図案。
『姓氏家系大辞典』第3巻 91コマに「家紋丸に桔梗」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
西須(さいす・にしす)・斎田(さいた)は、上野・備中・阿波等にこの地名が存する。もともと神社の斎田から起こったのであれば、さらに多くあるであろう。【1】佐々木氏流、はじめ二位田氏 ― 寛永系図也○寛政の呈譜には「佐々木隠岐守義○の後裔、二位田肥前守元氏が和泉国松浦(日根郡)に住む。その子善兵衛元就、その子善左衛門元定が松浦を名乗り、後に二位田に復して、その子九左衛門元次(秀吉に仕える)の時に斎田に改めた」と見える。その子は元勝・元政である。
西須サイスニシス齋田サイタ上野、要備中、阿波等に此の地名存す、もと神社の齋田より起りしなれば、猶ほ多かるべし。1佐々木氏流はじめ二位田氏(寛永系圖也〓寛政の呈譜には、「佐々木隱岐守義〓の後裔、二位田肥前守元氏、和泉國松浦(日根郡)に住す。その子善兵衞元就の子善左衞門元定、松浦を稱し、後に二位田に復し、其の子九左衛門元次(秀吉に仕ふ)の時、齋田に改む」と見ゆ。其の子元勝、元政なり。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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