この名字はまだ図鑑に載っていません
全国17021位約311人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「蠣崎」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
菱
菱形を組み合わせた図案。
『姓氏家系大辞典』第2巻 138コマに「紋割萎」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
蠣崎(かきさき)は、陸奥国(東北地方)北郡蠣崎邑から起こった。○和源氏武田氏の族であることは明白であるが、松前氏の家系は、若狭武田の後であると述べ、一説は南部の庶流であると述べ、詳しくない点が多い。ここでは項を分けて述べることにする。【1】南部庶流 ― 南部藩内の人の多くはこの説である。つまり祐○私記に「松前氏の先祖は、当南部家十三代守行公の庶弟と聞く、田名部の内、柿崎を知行して居館を構え、夷を退治させられ、それより松前の夷を悉く従え、やがて島の主となり、子孫は繁栄した、……(引用はここで途切れている)
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
蠣崎カキサキ陸奥國北郡蠣崎邑よリ起る。〓和源氏武田氏の族なる事は明白なれど、松前氏家諸は、若狭武田の後なりと云ひ、一脫南部の庶流と云ひ、詳かならざる點多し。今項を分ちて述ぶべし。1南部庶流南部藩内の人は多く此の說なり、卽ち祐〓私記に「松前氏先祖は、當南部家十三代守行公の舍弟と聞く、田名部の内、柿崎を知行して居館を構へ、夷を退治せしめられ、夫れより松前の夷を悉く從へ、やがて島の主となり、子孫繁昌す、
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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