蓼沼

たてぬまTatenuma

全国4600位 ・ 約2,390人

蓼沼(たでぬま)は、下野国河内郡蓼沼○から起こる。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
たてぬま
ローマ字
Tatenuma
全国順位
全国4600位
推計人数
約2,390人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

蓼沼をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Tatenuma読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 下野国(栃木県)
  • 河内国(大阪府)
  • 越後国(新潟県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

蓼沼(たでぬま)は、下野国(栃木県)河内郡蓼沼○から起こる。 【1】秀郷流藤原姓佐野氏族 ― 前述の蓼沼から起こる。後に越後(新潟県)に移る。「治乱記」によれば、新潟を攻略したのはこの人の計略によるという。 【2】越後の蓼沼氏 ― 蒲原郡木場城(木場村)は、新発田謀反の際、景勝がこの城を築き、本城に蓼沼藤七、二の丸に山吉玄蕃允を置いたという。また頸城郡鉢崎城(米山村鉢崎)は、一に旗持の城という。上杉三郎景虎の属城であったが、景勝がこれを占領し、蓼沼藤七・佐野清左衛門の二人を据え置いたという。一族は羽前(山形県)・羽後(秋田県)に存する。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

蓼沼タデヌマ下野國河内郡藝沼〓より起る。 1秀〓流藤原姓佐野氏族前述藝沼より起る。後に越後に移る。治亂記に據れば、新潟を攻略せしは、此の人の計略に出づ。 2越後の藝沼氏蒲原郡木場城(木場村)は、新發田謀叛の際、景勝當城を築き、本城に蓼沼藤七、二丸に山吉玄蕃允を置くと。又頸城郡鉢崎城(米山村鉢崎)は、一に旗持の城と云ふ。上杉三郞景虎の屬城なりしも、景勝之を占領し、藝沼藤七、佐野清左衞門の二人を据え置くと。族羽前、羽後に存す。

姓氏家系大辞典 第4巻 78コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

蓼沼に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

「蓼」の字を含む名字

同じくらいの多さの名字

全国順位が蓼沼の前後にある名字です。

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