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全国15180位約379人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
色部(いろべ)は越後国(新潟県)岩船郡色部邑より起こるもので、色部城また平林城(平林村)は色部氏(伊呂部氏)の故館である。この氏は桓武平氏秩父氏の族であって、小泉庄内加納に住み、当庄内色部条惣領職並びに粟島地頭職であった。元弘三年十月の綸旨に色部長綱後室性空、また建武元年八月、色部総領秩父三郎長倫が瀬波郡謀反人小泉持長以下を誅罰した軍忠状がある。その後裔色部修理大夫泰元は長尾為景に従い、その子修理亮長実は議信に、その子長門守は景勝に従う。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
色部イロベ越後國岩船郡色部邑より起るの色部城また平林城(平林村)は色部氏(伊呂部氏)の故館也と。此の氏は桓武平氏秩父氏の族にして、小泉庄内加納に住し、當庄內色部條惣領職並に粟島地頭職たり。元弘三年十月の綸旨に色部長綱後室性空、また建武元年八月、色部總領秩父三郞長倫が瀨波郡謀叛人小泉持長以下を誅罰したる軍忠狀あり。其の後裔色部修理大夫泰元は長尾爲景に、其子修理亮長實は議信に、其子長門守は景勝に從ふ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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