この名字はまだ図鑑に載っていません
全国18309位約275人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
米多(めた)は『和名抄』に肥前国(佐賀県・長崎県)三根郡の米多○として載り、後に米多庄が起こった。【1】米多国造 ― 米多国とは前述の肥前米多○付近の地を指す。この国造は護神天皇の後裔であり、『国造本紀』に「筑紫米多国造。志賀高穴穗(成務)朝、息長公同祖、稚沼毛二俣命の孫都紀女加を国造に定め賜わった」と見え、『古事記』に「稚野毛二侵王の子意富々杼王は、筑紫の米多君などの祖である」とあるのに符合する。都紀女加は意富々杼王の子であろう。【2】米多君 ― 前項の国造家の氏である。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
米多メタ和名抄、肥前國三根郡に米多〓を收め、後に米多庄·起る。1米多國造米多國とは前述肥前米多〓附近の地を云ふ。此の國造は護神天皇の後裔にして、國造本紀に「筑紫米多國造。志賀高穴穗(成務)朝、息長公同祖、稚沼毛二俣命の孫都紀女加を國造に定め賜ふ」と見え、古事記に「稚野毛二侵王の子意富々杼王は、筑紫の米多君、云々等の祖也」とあるに符合す。都記女加に意富々杼王の子なるべし。2米多君前項國造家の氏也。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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