この名字はまだ図鑑に載っていません
全国19614位約243人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「篠瀬」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
丸に橘
橘の実に葉を添えた図案。
丸に井桁
井戸の枠組みを菱に組んだ図案。
『姓氏家系大辞典』第3巻 163コマに「家紋丸に橘、丸に井桁」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
篠瀬(ささせ)は藤原北家井伊氏の一族で、奥山太郎行直の五代孫である左衛門次郎光吉が遠江国(静岡県)篠瀬神村を領有して篠瀬氏を称したという。その子は左衛門尉光春(奥山)→左衛門→平右衛門重吉(篠瀬)である。今川家の家臣で、重吉の子は勘太郎吉(江左衛門、吉政)→吉次である。家紋は丸に橘、丸に井桁。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
篠瀨ササセ藤原北家井伊氏の族にして奥山太郞行直五代孫左衞門次郞光吉、遠江國篠瀬神村を領し、篠瀬氏を稱すと云ふ。其の男左衞門尉光春(奥山)-左衞門-平右衞門重吉篠瀬)なりと。今川家臣にして、「重吉の子勘太郞吉(江左衞門、吉政)-吉次」也家紋丸に橘、丸に井桁。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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