この名字はまだ図鑑に載っていません
全国17149位約307人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
節田(やりた)は武蔵(東京都・埼玉県)に氏が存する。初代は○鏡田(やりた)の○に『房総治乱記』に「天正十六戊子二月下旬、柾木左近・小積城主鎌田美濃守が相州(神奈川県)三浦に駐留して、北条氏直と協力している留守を窺いて、小浜城を夜討ちにして攻め取る」と載せられ、下総小金本土寺過去帳に「鍵田左衛門次郎」が見える。又武蔵などに存する。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
節田ヤリタ武蔵に氏存す。初代あ鏡田ヤリタ上のに房総治亂記に「天正十六戊子二月下旬、柾木左近·小積城主鎌田美濃守の相州三浦に屯して、北條氏直と合職しける留守を窺ひて、小濱城を夜討にして攻取る」と載せ、下總小金本土寺過去帳に「鍵田左衞門次郞」見ゆ。又武蔵等に存す。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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