この名字はまだ図鑑に載っていません
全国18623位約267人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
竹房(たけぼう)は、紀州(和歌山県)熊野本宮社の家で、熊野国造の後裔である。熊野や和田などの項目を参照されたい。『続風土記』には、神官本宮左座に竹坊大蔵、右座に竹房敏彦が記載されており、「竹坊大蔵は代々鷹山村に住み、鷹山検校と称した。正安四年に左衛門尉正得から大弐法印の命を受けた。その後和田氏が当家を継いでから、和田を氏とした。文書に永享の頃に竹坊という称が見えるので、竹坊は住居の名であり、後に苗字となったのだろう」とある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
竹房タケボウタケノバウタケバウ紀州熊野本宮社家にして、熊野國造の後裔と云ふ。熊野、和田等の條を見よ。續風土記、神官本宮左座に竹坊大藏、右坐に竹房敏彦を載せ、「竹坊大藏。世々鷹山村に住し、鷹山撿校と稱す。正安四年、左衞門尉正得より大貳法印の仰を受く。後和田氏·當家を繼ぎしより、和田を氏とす。文書に、永享の頃·竹坊の稱見ゆれば、竹坊は住居の名にて、遂に苗字となれるならむ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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