空閑

くがKuga

全国5075位 ・ 約2,080人

空閑(こが・くが)は、肥前の豪族で、清和源氏と称する。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
くが
ローマ字
Kuga
全国順位
全国5075位
推計人数
約2,080人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

空閑をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Kuga読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 肥前国(佐賀県・長崎県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

空閑(こが・くが)は、肥前(佐賀県・長崎県)の豪族で、清和源氏と称する。「鎮西要略」の勝応元年十一月の条に「空閑民部入道」があり、武家方であった。また天正の頃、空閑三河入道可○がある。 後に大村藩にこの氏があり、「武田信義の裔、空閑太郎兵衛義○は、竜造寺隆信に属し、肥前国空閑邑を領した。その子・義行に至って大村純頼公に仕え、大給式見村の横目であった」(「士系録」)と見える。 (このあと原文は次の見出し「古河(こが)」の記事に移る)……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない)某が古河に移り住んだ。世にこれを古河公方という。その子・政氏、孫の高基、曾孫の晴氏を経て、玄孫の義氏に至って嗣子がなく、喜連川国朝がその跡を継いだ。 ……(中略)また永禄六年の諸役人付に「古河足利左馬頭義氏」と見える。……(中略) 【2】上杉景勝家の臣に古河重吉があり、そのほかはフルカワの条を見よ。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

空閑コガクガ肥前の豪族にして、清和源氏と稱す。鎭西要略、勝應元年十一月條に「空閑民部入道」あり、武家方なり。又天正の頃、空閑三河入道可〓あり。後に大村藩に此の氏あり、「武田信義の裔、空閑太郞兵衞義〓、龍造寺隆信に屬し、肥前國空閑邑を領す。その子義行に至り、大村純賴公に仕へ、大給式見村橫目たり」(士系錄)と見ゆ。り住す。世にこれを古河公方と云ふ。其の子政氏、孫の高基、曾孫晴氏を經て、玄孫義氏に至りて、嗣なし、喜連川國朝·其の後を嗣げり。……又永祿六年の諸役人付に「古河足利左馬頭義氏」と見ゆ。……2上杉景勝家の臣に古河重吉あり、其の他はフルカハ條を見よ。

姓氏家系大辞典 第2巻 565コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

空閑と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

空閑に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が空閑の前後にある名字です。

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