この名字はまだ図鑑に載っていません
全国24706位約159人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
磐城(いわき)・岩城に同じ。【1】於保磐城臣 ― 多臣の族である。石城の項を見てほしい。【2】磐城臣阿倍氏 ― 族である。石城の項に述べた。【3】伊達氏流 ― 前項に述べたように、伊達晴宗の子親隆が岩城氏を継ぎ、その後裔である。その後一門に列せられ、伊達氏と言い、江刺岩谷堂に拠った。『伊達世臣家譜』に「伊達岩城氏、岩城邦君常隆嫡男長次郎政隆を以って祖となす。(族譜を案ずるに、左京大夫常隆、天正十八年七月、太閤秀吉の麾下に属し、相州(神奈川県)星谷に死す。……(引用はここで途切れている)
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
磐城イハキ岩城に同じ。1於保磐城臣多臣の族なり、石城條を見よ。2磐城臣阿倍氏の族なり、石城條にて云ヘリ。岩城11伊達氏流前項に述べし如く、伊達晴宗の子親隆·岩城氏を繼ぐ、その後裔なリ。後一門に列せられ、伊達氏と云ひ、江刺岩谷堂に據る。伊達世臣家譜に「伊達岩城氏、岩城邦君常隆嫡男長次郞政隆を以つて祖となす。(族譜を按ずるに、左京大夫常隆、天正十八年七月、太閤秀吉の麾下に屬し、相州星谷に死す。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
「磐城」の家系図は、まだ1つも公開されていません。あなたが最初のひとりになれます。ログインなしで、そのまま作り始められます。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →