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全国23192位約179人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
砂越(さなり)は羽後国(秋田県)飽海郡砂越邑から起こった。庄内武藤大実寺氏の一族であり『蜷川親元日記』に「文明十年十月、大実寺砂越信濃守藤原氏雄、受領御免、御礼御馬二疋」と。また『砂越大乗院年代記』に「永正十年十月、砂越景生害。同十五年、砂越名代が立つ」と。『新風土記』に「砂越城跡は村の北方にあり、昔時、砂越殿が二千貫の地を領して築いて居住していた。その姓名、年代は明らかでない。永正十年、城主は事情があって生害した。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
砂越サナリ羽後國飽海郡砂越邑より起る。庄内武藤大實寺氏の一族にして、蜷川親元日記に「文明十年十月、大賓寺砂越信濃守藤原氏雄、受領御免、御禮御馬二疋」と。また砂越大乘院年代記に「永正十年十月、砂越景生害。同十五年、砂越名代·立つ」と。新風土記に「砂越城墟は村の北方に在り、昔時、砂越殿·二千貫の地を領し、築きて居住す。其の姓名、年代·詳ならず。永正十年、城主故ありて生害す。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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