この名字はまだ図鑑に載っていません
全国19447位約247人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
石浜(いしはま)は武蔵国(東京都・埼玉県)量島郡石浜庄から起っている。『太平記』巻三十一に石浜上野守が見え、中興系図に「平姓、本国武蔵、紋梨切口」と載せられている。『新編風土記』に「安積覚云、浅草観音堂の北金龍山は石浜の城跡で、形ばかり残っているなりとするが、しかし今その旧跡は詳らかでない。かつ始めて築いた年代を記したものもない。『太平記』小手差原合戦の条に尊氏の近習の者ども二十余騎が河中へ返し合わせ支え戦い、その間に将軍急を逃れ、石浜入道が宿所へ入られたと見える」と見える。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
石濱イシハマ武藏國量嶋郡石濱庄より起る。太平記卷三十一に石濱上野守見ゆ、中興系圖に「平姓、本國武藏、紋梨切口」と載せ、新編風土記に「安積覺云、淺草觀音堂の北金龍山は石濱の城蹟、形ばかり殘りたるなりと、されど今其舊跡詳ならず。且始て築し年代を記せしものなし。太平記小手差原合戰の條に尊氏近習の者ども二十餘騎、河中へかへし合せ支へ戰ひし、其間に將軍急を遁れ、石濱入道が宿所へぞ入せ給ひけると見ゆ。
『姓氏家系大辞典』はこの名字を「石浜」の表記で立項しています。引用はその項のものです。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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