知識

ちしきChishiki

全国9280位 ・ 約837人

知識(ちしき)は、薩摩国出水郡知識邑から起こった豪族で、「南山巡狩録」に「正平九年四月、知色入道は島津一族が攻め寄せるのを見て、昼夜を分かたず防戦したが、尾崎城…

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基本情報

読み
ちしき
ローマ字
Chishiki
全国順位
全国9280位
推計人数
約837人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

知識をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Chishiki読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 薩摩国(鹿児島県)
  • 和泉国(大阪府)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

知識(ちしき)は、薩摩国(鹿児島県)出水郡知識邑から起こった豪族で、「南山巡狩録」に「正平九年四月、知色入道は島津一族が攻め寄せるのを見て、昼夜を分かたず防戦したが、尾崎城を守り切れず落城した云々」とある。また文和四年十二月二十八日の尊氏判書に「知色城合戦云々」などと見える。南朝の忠臣であった。 「地理纂考」上知識村尾崎城の条に「あるいは知識城ともいう。知識氏が数代の居城とした。文和三年五月、和泉(大阪府)の荘の名主・知識彦三郎入道行覚が、木牟礼城主・島津守久と戦う。島津師久・守久はこれを諭し、当城を攻める。同年六月、ついに当城を落とす。行覚は逃亡し、師久が城に居た」とある。和泉・島津などの条を参照。 知色(ちしき)は、同上。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

知識チシキ薩摩國出水郡知識邑より起りし豪族にして、南山巡狩錄に「正平九年四月、知色入道は島津一族の攻め寄せたるを見て、畫夜を分たず、防戰なすといへども、尾崎城守り難く落去云々」능また文和四年十二月廿八日の尊氏判書に「知色城合戰云々」など見ゆ。南朝の忠臣たりし也。地理纂考、上知識村尾崎城條に「或は知識城とも云ふ。知識氏數世居城なり。文和三年五月、和泉の莊の名主·知識彥三郞入道行覺、木牟禮城主島津守久と戰ふ。島津師久·守久を教ひ、當城を攻む。同六月、遂に當城を拔く。行覺逃亡して、師久·城に居る」と和泉、島津等の條參照。知色チシキ同上。

姓氏家系大辞典 第4巻 143コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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知識に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

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