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全国16631位約323人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
矢北(やきた)は美作(岡山県)の名族である。○と助村氏は世々神宮山城主木下家に仕える。助村三太夫定博の子権三郎春定に至り、元暦元○に○城城主道○○前条氏に武蔵(東京都・埼玉県)、岩代(福島県)、磐城(福島県・宮城県)、肥後春定○の子道清を奉じ、再興を○に然かず。新田村に住居して建置三年八月卒する。春定九世の孫彦三郎定一に至り、赤松氏に仕えて目代下役となり○水三十年○。翌年鷹取八幡宮の造営を執事する。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
矢北ヤキタ美作の名族にして、「素と助村氏、世々神宮山城主木下家に仕ふ。助村三太夫定博の子權三郎春定に至り、元曆元爲にな城城主道·アル前條氏に武藏、岩代、磐城、肥後春定·のめ子道清を奉じ、再興をに然きず。新田村に住居して建置三年八月卒す。春定九世の孫彦三郞定一に至り、赤松氏に仕へて目代下役とな應水三十年、リ.翌年鷹取八幡宮の造警を執事す。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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