この名字はまだ図鑑に載っていません
全国12973位約490人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
直川(なおかわ・なふかわ)は『和名抄』に、紀伊国(和歌山県)名草郡に直川○を載せている。後に直川庄が起こり、また直川邑も存在した。この地名を負っていて、国府出仕の郷士である紀朝臣と名乗った。嘉禎元年の文書に「直川庄上芝原松島○」など載せており、承安四年の国判に「直川新太夫紀範成、直川介太夫紀宗成」など見える。また『続風土記』に「開発者。寛仁の頃、栗柄の郷士紀の成実が、直川の刀福職を兼ね、この地を開発した」と載せている。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
直川ナホカハナフカハ和名抄、紀伊國名草郡に直川〓を收む。後直川庄起り、又直川邑存す。此の地名を負ひしにて、國府出仕の郷士也紀朝臣と稱す。嘉禎元年の文書に「直川莊上芝原松島〓」など載せ、永安(承安)四年の國判に「直川新太夫紀範成、直川介太夫紀宗成」等見ゆ。又續風土記に「開發者。寬仁の頃·栗柄の郷士紀の成實、直川の刀福職を兼ね、此の地を開發す。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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