この名字はまだ図鑑に載っていません
全国10902位約646人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「直」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
桐
桐の葉三枚の上に、花の穂を立てた図案。
『姓氏家系大辞典』第2巻 186コマに「家紋鷹の割羽、龜甲の内に花丸さ甲斐の片桐氏一族甚だ多く、片桐黨」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
直○を経て、景重の男為安が頼朝に召され、采地をすべて賜って船山城に移った。その子準人重安、同じく石見守為○、同じく兵庫頭正綱、同じく信濃守長国、同じく中務少輔為明、応永年中近○を打ち従え、大身となった。その子為信、同じく重国、同じく重辰、同じく長展、同じく政公、同じく長○。長公の母は知久頼元の女である。当時八百貫文を領し、武田氏に属し、天正十年三月、織田氏の討ち入りの時、大島城に戦死した。父は北古瀬で切腹した。これにより船山は落城した。
直ニバート經て、景重の男爲安·賴朝に召され、釆地を悉く賜はり船山城に移る。其の子準人重安、同石見守爲〓、同兵庫頭正綱、同信濃守長國、同中務少輔爲明、應永年中近〓を打從へ、大身となる。其子爲信、同重國、同重辰、同長展、同政公、同長〓長公の母は知久賴元の女なり。當時八百貫文を領し、武田氏に屬し、天正十年三、織田氏討入のとき、大島城に討死。父は北古瀨に切腹。これにより船山落城。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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