この名字はまだ図鑑に載っていません
全国13652位約451人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「益戸」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
釘抜
釘を抜くときに当てる座金を象った、角形の図案。
『姓氏家系大辞典』第5巻 508コマに「紋釘貫」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
益戸(ましど)秀○流は藤原姓下河辺氏族で、常陸(茨城県)の岡美城郡(現在の新治郡)の益戸邑から起こった。下河辺系図には「(下河辺)四郎行光-下河辺能登守行義(下総国(千葉県・茨城県)古河領主である)-政義(益戸左衛門尉)」と記載されており、また佐野松田系図には「政義(下河辺四郎左衛門、常陸国下河辺、益月、高原、小川などの祖である、紋釘貫)」と記載されている。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
益戶マシド秀〓流藤原姓下河邊氏族常陸岡美城郡(今新治郡)益戶邑より起る。下河邊系圖に「(下河邊)四郞行光-下河邊能登守行義(下總國古河領主也)-政義(益戶左衞門尉)」と載せ、また佐野松田系圖に「政義(下河邊四郞左衞門、常陸國下河邊、益月、高原、小川等の祖也、紋釘貫)」と。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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