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全国13166位約478人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
百地(ももち)は大和国(奈良県)字陀郡の豪族であり、三本松村龍口城に拠っている。北畠氏の疎族かといわれている。北畠氏の部将であり、『国民郷士記』に「龍口山城・百地丹波」と記載され、『北氏聞書覺書』に「龍口四村といい、その内、四谷、龍谷、戸島といい。百地という地侍が昔より伊賀大和の境に山城(京都府)・両国の中を鎮めて百地という。丹波(京都府・兵庫県)という、多気御所の末縁のようである」とある。両国境上の業将である(『大和志料』)。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
百地モモチ大和國字陀郡の豪族にして、三本松村龍口城に據る。北畠氏の疎族かと云ふ。北畠氏の部將にて、國民郷士記に「龍口山城·百地丹波」と載せ、北氏聞書覺書に「龍口四村と云ふ、内、四谷、龍谷、戶島と云ふ。百地と云ふ地侍·昔より伊賀大和境に山城·兩國の中を鎭めて百地と云ふ。丹波と云ふ、多氣御所の末緣の由」とあり。兩國境上の業將なり(大和志料)。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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