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全国12786位約502人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
熊手(くまて)・熊取(くまとり)は、和泉国(大阪府)日根郡に熊取庄がある。昔は熊取野と言った地で、桓武天皇の行幸がある。熊取庄は『師茂記』『多賀挙本古文書』などに見える。中左近という旧家がある。『名所園会』。また『雑訴決断書』に「○す、和泉国衛。湯浅木本新左衛門尉宗元申す、当国熊取庄地頭職事○○。建武元年九月五日」とある。その後、大島郡高井城(同村清児)は、千石堀城、積善寺城、沢城、畠中城とともに根来衆徒の属城である。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
熊手クマテ熊取クマトリ和泉國日根郡に熊取莊あリ、古く熊取野と云ひし地にして、桓武天皇の行幸あり。熊取莊は師茂記、多賀擧本古文書等に見ゆ。中左近と云ふ舊家あり。〔名所園會〕。また雜訴決斷書に「屎す、和泉國衞。湯淺木本新左衞門尉宗元申す、當國熊取莊地頭職事云々。建武元年九月五日」とo後、大島郡高井城(同村清兒)は、千石堀城、積善寺城、澤城、畠中城と共に根來衆徒の屬城也。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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