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全国20744位約219人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
煤孫(すすまご)は陸中国(岩手県・秋田県)和賀郡煤孫邑から起こり、須々孫館に拠った。○和源氏和賀氏の族で、明応八年の薄衣状に「和賀、遠野、須々孫の群兵が伊澤大村に向かう」などと見える。これより前、東昔という旧記に「永享七年五月、和賀小次郎、須々孫伊賀が家の好みを捨てて確執に及び、すでに弓箭に及んだ。南部政行公が不来方の福士伊賀守禅門を使者として和議を図られた。然るに、周防(山口県)の肥後国(熊本県)飽田郡に硯川邑須関(すせき)嵩山(すせやま)○。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
煤孫ススマゴ陸中國和賀郡煤孫邑より起り、須々孫館に據る。〓和源氏和賀氏の族にして、明應八年の薄衣狀に「和賀、遠野、須々孫の群兵、伊澤大村に向ふ」など見えたり。これより前、東昔てふ舊記に「永享七年五月、和賀小次郞、須々孫伊賀、家の好みを捨てゝ確執に及び、已に弓箭に及ぶ。南部政行公、不來方の福士伊賀守禪門を使として、和議を振ひ玉ふ。然るに、周防の肥後國飽田郡に硯川邑須關スセキ嵩山スセヤマスセ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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