この名字はまだ図鑑に載っていません
全国20174位約231人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
瀨治山(せちやま)、瀨塚(せつか)、攝家(せつけ)は雲上家の家格である。藤原良房が人臣のまま摂政となり、その子基経がまた○朝に関白に任じられてから、子孫がこの二職に補せられることを例とし、世官世職の形をなしている。その後、忠通の子である基実から兼実に至り、藤原氏の○家二流となり、さらに三代を経て五流となり、○に関白の職を襲ぐに至り、称して五摂家という。近衞、○司、○龍、一様、一族、これらである。
瀨治山セチヤマ瀨塚セツカ攝家セツケ雲上家の家格なり。藤原良房·人臣にして攝政となり、其の子基經、また字多朝に關白に任ぜられてより、子孫·此の二職に補せらるゝを例とし、世官世職の姿をなせり。その後、忠通の子なる基實、兼實に至り、藤原氏の摘家二流となり。更に三代を經て五流となり、造に抵関の職を襲ふに至り、稱して五攝家と云ふ。近衞、麿司、九龍、一樣、一族、是れなり。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
「瀬治山」の家系図は、まだ1つも公開されていません。あなたが最初のひとりになれます。ログインなしで、そのまま作り始められます。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →