この名字はまだ図鑑に載っていません
全国17417位約299人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「漢」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
巴
弓を射るとき腕に着ける鞆(とも)を象り、三つを渦に組んだ図案。
『姓氏家系大辞典』第1巻 116コマに「家紋丸に上文字、左三巴、支流二家を載す」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
漢(あや)は、朝鮮半島を経由して帰化した漢人の裔である。アヤヒト・アヤベの項を見てほしい。最初漢武帝が朝鮮国を滅ぼしてその地に四郡を置いたとき、漢人がその地に移住し、【2】甲斐(山梨県)の雨宮氏 ― 『甲斐国志』によれば、「信州(長野県)河中島雨宮から起こり、村上氏の庶流だという。中興両宮摂津守正忠(家国)明応九年八月十六日卒す、男山城守正重、その男十兵衛家政が武田家に仕え、その男平兵衛昌茂が徳川氏に従うという。……(引用はここで途切れている)
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
漢アヤ朝鮮半島を經由して歸化したる漢人の裔なり、アヤヒト、アヤベ條を見よ。始め漢武帝の朝鮮國を滅ぼして其の地に四郡を置くや、漢人の其の地に移住する2甲斐の雨宮氏甲斐國志に據るに、「信州河中島雨宮より起る、村上氏の庶流也と云ふ。中興兩宮攝津守正忠(家國)明應九年八月十六日卒す、男山城守正重、其男十兵衞家政、武田家に仕ふ、其男平兵衞昌茂德川氏に從ふと。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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