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全国11399位約602人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
浦元(うらもと)、浦山(うらやま)は武蔵、筑前などにある地名である。浦上氏の流れで美作の豪族であり、永正・大永の頃、浦山左馬介(左馬尤)行重がいた。備前の浦上掃部助紀村宗の一族だと言われている。当国勝南郡金室城(金風呂山)を守り、大永三年二月二十七日、三星城主後藤左衞門佐勝政がこれを囲み、行重は敗死したという。その他、大村藩、また信濃国、○○国にこの氏がある。
浦元ウラモト浦山ウラヤマ武蔵、筑前等に此の地名あり。1浦上氏流美作の豪族にして、永正大永の頃、浦山左馬介(左馬尤)行重あり、備前の浦上掃部助紀村宗の一族なりと云ふ。當國勝南郡金室城(金風呂山)を守60大永三年二月廿七日、三星城主後藤左衞門佐勝政之を圍み、行重敗死すとなリ2武蔵、筑前等に此の地名22其の他、大村藩、また信濃國、藥城國に此の氏あり。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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