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全国21883位約199人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
津久(つく)は信濃(長野県)の名族であり、村上義○家臣に津久左衛門があり、小懸郡戸石山戸石城に拠った。伝えて云う「戸石城は村上家の持城で、六箇所の内の一城である。今の地蔵峠の登り道、塚原村の脇に古城がある、これである。義○時代、家臣津久左衛門は百五十騎にて成る。天文十四乙巳年三月十四日、武田勢しきりにこれを攻め、甲州(山梨県)方の軍師山本勘助道鬼斎晴幸が秘奥の妙計をもって備を立つ。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
津久ツク信濃の名族にして、村上義〓家臣に津久左衞門あり、小懸郡戶石山戶石城に據る。傳へ云ふ「戶石城は、村上家の持城、六ヶ所の内の一城也。今の地藏峠の登り道、塚原村の脇に古城有る是れ也。義〓時代、家臣津久左衞門·百五十騎にて成る。天文十四乙巳年三月十四日、武田勢しきりに是を攻め、甲州方の軍師山本勘助道鬼齋晴幸·秘奥の妙計を以つて備を立つ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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