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全国13871位約439人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
津々見(つつみ)は前条氏に同じ。【1】島津氏族 ― 若狭(福井県)の大族。島津忠久の弟右衛門次郎忠季の後である。忠季は建久七年九月一日、この国の守護となり、その子三郎兵衛忠時(多田)がこれを継いだが、寛喜元年、在京の時に陰陽頭を殺害したため没収された。今富名の代官職は忠季が後妻若狭尼、時頼の頃まで勤めた。『島津条』に詳しい。【2】宇都宮氏族 ― 豊前(福岡県・大分県)の豪族であり、『宇都宮大系図』に「城井信嗣の弟津々見能信―忠房、弟亀菊丸」と載せた。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
津々見ツツミ前條氏と通ず。1島津氏族若狭の大族。島津忠久の第右衞門次郞忠季の後也。忠季·建久七年九月一日、此の國守護となる、其の子三郞兵衞忠時(多田)之をつぎしも、寛喜元年、在京の時、陰陽頭を殺害するによりて沒收せらる。今富名の代官職は忠季が後家若狹尼、時賴の頃まで勤む。島津條に詳か也。2宇都宮氏族豐前の豪族にして、字都宮大系圖に「城井信嗣の弟津々見能信-忠房、弟龜菊丸」と載せたり。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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