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全国19984位約235人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
波賀(はが)は、前後の数条を参照。○原姓は前の項の氏に同じ。【2】常陸(茨城県)の波賀氏 ― 『新編国志』に「波賀。また羽賀。信太郡羽賀村から出た。長禄三年○月、小田氏の配下であった波賀彦三郎という者が、小田氏に従って足利成氏の兵と信太庄で戦い、討死したことが御内書案に見えている。この子孫と見えて、羽賀四郎左衛門という者がこの地に住んで土岐氏の家人であり、天正年間のことである」と。羽賀は常陸・岩代(福島県)・若狭(福井県)などにこの地名があり、また前後の項と共に用いられる。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
波賀ハガ前後數條參照。〓原姓前條氏に同じ。2常陸の波賀氏新編國志に「波賀。又羽賀、信太郡羽賀村より出たり。長祿三年□月、小田氏の被管波賀彥三郞と云ふ者、小田氏に従つて、足利成氏の兵と信太庄に戰ひ討死せる由、御内書案に見えたり。この子孫と見えて、羽賀四郞左衞門と云ふもの、この地に住して、土岐氏の家人たり、天正年間のことなり」と羽賀ハガ常陸、岩代、若狹等に此の地名あり、又前後敬條と通じ用ひらる。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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